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2008年3月15日土曜日

朝日新聞より

天声人語(全文)


東京が春先の雨に煙ったきのう、武蔵野と呼ばれる郊外を歩いた。散見する落葉の木々は、まだ裸のままだ。作家の藤沢周平さんは生前、このあたりに住み、雑木林の冬の姿を好んだ。
<冬の木々は、すべての虚飾をはぎとられて本来の思想だけで立っている>と随筆に書いた。そして、<もうちょっと歳取るとああなる、覚悟はいいか>と自らに問うている。来し方をごまかすことのできない立ち姿を、裸の木々に見たのだろう。
その木々も、春がめぐれば緑をかえす。雨は雑木林を遠くにけぶらせ、けぶる中で冬芽がゆるむ。きのうの雨は、さしずめ「木の芽雨」である。北の地方では、初めて雪を交えずに雨だけが降り続く、いわゆる「雨一番」だったかもしれない。
梅は凛、桜は艶(えん)。ならば桃にはどんな一字を献じようかと過日書いたら、たくさん便りをいただいた。うららかの「麗」をはじめ、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の「蕩」、可憐の「憐」、それから「雅」「満」「優」「華」・・・・・・。美しい意味「姚(よう)」など「女」を含む字が似合う、というご意見があった。
亡き母や夫の面影を、桃の花に重ねる方もいた。自然は色をかえすのに、人は歳々年々同じからず。命あふれる季節だからこそ、花にひそむ思い出のトゲが胸に刺さり、ふと悲しみは滴るのだろう。
<降雨時節を知り、春に当たりて乃(すなわ)ち発生す>(杜甫)。よい雨は時を心得ていて、春になると降り出して万物を育む。麗、蕩、憐、雅・・・・・・それぞれの思い描く一文字にも、一雨ごとに春が近づく3月である。

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